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麻田二郎 小学校教員
2000年5月10日(水)産経新聞静岡版”学びと教えの現場から”掲載
舌でみる鼻でみる
ものにはいろいろな見方がある。例えば、次のような見方はどうだろう。
「おしりでみる」
「おでこでみる」
「腰でみる」
「鼻でみる」
「太腿でみる」
「傘でみる」
「心でみる」…
いずれも小学校二年生の見方である。(「みる」はあえてひらがなで記す。)
■実に豊かな感性■
子供たちが言う。
「おしりでみるというのは、椅子がかたいとか柔らかいとか、冷たいとかあったかいとかをみます。」
「おでこでみるというは、熱がでたとき、お母さんがおでこをあてて熱があるかみます。」
「腰でみるというのは、腰の曲がり具合でおじいさんやおばあさんの年をみます。」
「鼻でみるというのは、もうじき給食かなとみます。」
「太腿でみるというのは、一生懸命に走ってどれだけ疲れたかをみます。」
「傘でみるというのは、傘にあたる雨の音ですごく降っているかをみます。」
「心でみるというのは、友達が喜んでいるか、困っていないか心の様子をみてあげます。」
五感をフル回転してものを見ている。実に感性豊かな子供たちだ。
*
こんな見方が生まれたのは、『きしめんに表と裏がある?』という題の女の子の日記がきっかけだった。
《今日の夕方のご飯は、きしめんでした。『さーて、いただきまーす。』と食べ始めました。すると、きしめんのすべすべしたところと、ざらざらしたとこがありました。すべすべしたところが表と予想してみました。お母さんに言うと、『へー、きしめんにも表と裏があるの。』と言いました。わたしは不思議だなと思いました。》(原文の一部を漢字表記に直す。以下同様)
きしめんを食べたら、不思議が生まれた。何という
感性だろう。視覚だけではない。味覚や触覚を使ってものをみる。これはまさしく「舌でみる」と言っていい。
しかも、身近な生活の中からの疑問。これこそ二年生の子供にとって、〃学び〃の始まりだ。そこで、
「これは〃教え〃の絶好のチャンス。五感を生かした見方を他の子供たちにも身につけさせよう。」ー。
私はこの日記を褒めちぎった。そして、目以外の体の部分を使っていろんな「みる」を考えようーと呼びかけた。その結果、学級全体で五十四の「みる」が集まった。(冒頭はそのいくつか)。頭の柔らかさに驚くばかりであった。
■負けずに日記を■
五十四の「みる」に刺激されたのだろうか。翌日、やんちゃ坊主が自分から日記を書いてきた。『鼻でみた』という題である。
《今日、学校で目以外でみる勉強をしました。いろいろな答えがでました。ぼくは、うちに帰ってから鼻でみるをしました。そしたら、答えがいくつかでました。
まず、一つ目はによい玉です。二つ目は、お母さんの香水です。三つ目は、トイレの香水です。ぼくは香りを嗅いでみたら、におい玉とトイレの香水は同じ香りでまとまったけれど、お母さんの香水は何か気になりました。まだまだ考えれば、いくつも答えがでそうです。》
別の女の子も負けずに書いてきた。タイトルは『ほっぺたでみる・手でみる・鼻でみる・耳でみる』。
《私のみるは四つです。まずはぽっぺたでみる。私は春を探している時、春風がほっぺたにあたりました。とてもあったかい風だなと思いました。その次は、手でみる。さるすべりの木を触ってみました。つるつるしていました。その次に鼻でみました。春の花の臭いを嗅いでみました。とてもいい臭いがしました。最後に耳でみるは、耳をすましたら、小鳥の声が聞こえました。これが私がみた春です。》
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体全体が学びの目。ここから大人にはまねできない知的な学習が始まるのだ。